キャッシングの歴史

日本では古くから質屋というものがありました。
その起源は鎌倉時代であるともいわれる質屋、最近ではあまり見かけなくなりましたが、家財道具や着物などを担保としてお金を貸してもらえるという仕組みの、 庶民にとってのごく一般的な金融として親しまれていました。

やがて、いわゆる高度成長期を迎える直前の1960年代、
日本の景気は上り調子で大量生産・大量消費の時代がやってきました。物価が下がり、質入れした品物も多くが質流れとなり、
質屋の多くが廃業したといわれています。

質屋から発展し貸し金業へ

1970年代になると、質屋に代わる金貸し業者として、
無担保、無保証で融資を行うという形式の「勤め人信用貸し」 という業者が現れます。
現在の消費者金融の原型ともいえるこれらは、 現在の主要な大手消費者金融の前身であり、
まさにこの頃誕生した業者がほとんどです。

現在と少し違っていた点といえば、この「勤め人信用貸し」が対象としていたのが、
一部上場企業のサラリーマンのみであったため「勤め人信用貸し」
という呼ばれ方であったものと思われます。 高度成長期を迎えたわが国は、
企業で働くサラリーマンと呼ばれる層が増え、 それらと歩調を合わせるようにして
消費者金融も発展の徒をたどります。

サラ金と呼ばれた80年代

発展と共に各社の競争も激しくなり、一部では悪質な業者なども出現。 過剰な貸付、過剰な取立て、高金利な、いわゆる 「サラリーマン金融」「サラ金」などと呼ばれ、これらの利用を原因として 債務過多となってしまった人たちの苦しい生活を「サラ金地獄」などと表現したりして、 社会問題化したのもこの頃でした。

当時は上限金利が109.5%でしたが1983年には73.0%にまで引き下げられるなど、 段階的に下がり続けたため、多くの消費者金融が 廃業に追い込まれてしまう事態となってゆきます。

テレビCMの解禁

80年代後半のバブル期を迎え、テレビCMの解禁なども手伝って
消費者金融業界は再び活性化します。


その反面、多重債務者、自己破産などに陥ってしまう利用者も増加。
上限金利はさらに段階を追って引き下げられる運びとなり、
現在では20%を上限とし、貸付額に応じて15~20%とされるようになっています。